ぐらぼう人形操演担当は山田はるか!「なごやであそぼっ(秋山楽しい)」に出演!wiki風経歴まとめ!

ロバート秋山

先日、「秋山の楽しすぎる約30分」がメ~テレで放送されましたね!

今回は番組のタイトル自体がごっそり変わってしまって(笑)「なごやであそぼっ!」が放送されました!

この番組は、ロバート秋山さんが監修”ガチの教育番組”

我が家もYOUTUBEをテレビで映して見たのですが、なんともはや絶妙な感じで終始ニヤニヤ、たまりませんでした。

家族で秋山さん好きなので、7歳と5歳の子供たちと一緒に見ました。

二人とも爆笑。特にぐらぼうと秋山さんのやりとりに!笑笑

また、「ぐらぼうかわいい!!!」と言っていました。

そうだよね、お母さんもそう思う!

そしてこのぐらぼう、素人目もう完全にこの道のプロの方が操作されているのだろうなと思ってみていたのですが、いったいどなた???どんな方?

調べてみました!!

よかったら最後まで見ていってください~!

今回、ぐらぼうの制作と操演をされたのは山田はるかさん!!

筆者
筆者

え、人形を操れる人って作れるの!?

知らない世界すぎて驚きが隠せません~~!!!

山田はるかさんの経歴

1979年8月9日生まれ(2025年現在46歳)、東京都台東区出身。

中学生の時の部活動は剣道部と放送部。

高校生の時の部活動はバスケ部と放送部。

2000年 東放学園放送芸術科卒

趣味は動物園、水族館めぐり、切手収集、温泉、サウナ。

好きなアイドルはアンジュルム。

幼少期からぬいぐるみが好きだった山田はるかさん。

体が弱く、学校を休みがちだった小学生時代の山田さん。
家ではいつもNHKの教育番組を見ていました。

明るくて楽しいその番組たちは、次第に山田さんの心の支えに。
あまりに好きすぎて、「ずる休みしてでも見たい」と思うほどだったそうです。

幼少期には夢のきっかけに出会っているってものすごく素敵な事ですしすごいことですよね!

小学校高学年には、「子ども番組を作る側になりたい」という強い思いが!

番組を作るにはどうすればいいのか――
調べ始めた山田さんは、「まずはAD(アシスタントディレクター)から始める」と知ります。

ADは、体力勝負で、ときに“ぞうきん”のようにボロボロになる仕事だということも。

筆者
筆者

体調をよく崩していて学校を休んでいる山田さんにとって、これは大ピンチですね!

この後の展開が気になります!!!

ADになるための体力づくりを、中学・高校生の時は部活動を掛け持ち。

体力をつけるため、山田さんは中学・高校の6年間、運動部と放送部を両立
中学ではお父さんの影響で剣道部に入り、放送部にも所属します。

高校では放送部を続けつつ、スラムダンクの影響でバスケ部に入部。

そして高校1年のとき、NHKの入社はとても倍率が高いと知り、悩んでいたところ、子ども番組を作っている制作会社の存在を知ります。

大学からNHKを目指すより、専門学校から制作会社に入るほうが早く番組づくりに関われると考え、専門学校への進学を決めました。

とにかく早く番組づくりに携わりたい、早く夢を叶えたい一心で行動がすべてに反映されていますよね。情熱がめちゃくちゃあって、素敵です。即行動。

番組を作るためのプロを目指して専門学校へ入学・卒業し子ども番組制作会社に就職へ

高校3年で進路を考えた山田さんは、短時間でストイックかつ専門的に学べる東放学園放送芸術科へ進学。

卒業後、求人票をきっかけに子ども番組の制作会社に就職し、「ひとりでできるもん!」のADに。

当時、隣のデスクでは「ハッチポッチステーション」の制作も行われていましたが、忙しすぎてあまり記憶に残っていないそうです。

人形操演という仕事との出会い

ある日、忘れ物を取りにNHKのスタジオに戻った山田さんは、人形操演の収録が始まる瞬間に遭遇
そのとき初めて、「人形は人が動かしている」と知ったそうです。

表舞台より映像の裏方が好きだった山田さんは、「この仕事がしたい」と強く思うように。

同じ会社で「ニャンちゅう」を担当していた操演の方に相談すると、「テレビは即本番だから、まずは劇団で修行したほうがいい」とアドバイスされます。

なんとその場で、その人形劇団の面接を取りついでもらえることに!
当時担当していたADの仕事が2年で一区切りになるため、それを全うしてから劇団の面接を受けました。

思いのほかとんとん拍子に色々と話が進んでしまって、さぞかし驚かれたとは思うのですが、着実に夢に向かって行動しているからこそ、軌道修正が入って、どんどんもっともっと夢がやりたいことになっているところがすごいですよね。

人形劇団の面接を受け、入団へ

人形劇団の面接を受けることになった山田さん。内容は「歌1曲」「演技」

人形は隠れて動かすものと思っていた山田さんは、劇を見てびっくり。
劇団員はメイクに衣装、歌やダンスをしながら人形を操っていたのです。

「こんなの絶対できない」と思いつつも面接を受け、見事合格。

「2週間後に本番だから」と台本を渡され、山田さんはそのまま人形劇の世界へ飛び込みました

筆者
筆者

今までと全く違う業界で転職して即本番とは本当にすごすぎませんか!

いくらやりたい事だったとはいえ、この当時の山田さんにとっては、本来の目的とはちょっと内容が違う気もするし、本当にとてつもない努力をされたのだろうと思うとなんだか本当に感動ですし尊敬です!!!

山田さんにとって、人形に集中したいのに歌やセリフも必要なのがとても大変でした。

自分で人形を作り、練習の機会を増やして努力を重ねます。
でもうまくいかず、何度も泣いて落ち込む日々。

それでも映像で人形を動かす」という目標のための修行だと思って続けました。

そして入団から4〜5年後、ついにテレビ「おかあさんといっしょ」の人形劇の仕事が舞い込みます。

その後も劇で活躍していた山田さんは、6〜7年目に劇団を辞めたいと伝えます。

すると「もう少し続けてほしい」と言われ、あと1年だけ頑張ることに。

すると不思議なことに、その最後の1年で気持ちが吹っ切れ、何を言われても平気に。

自由にのびのびと動けるようになり、技術も大きく向上していきました。

あらゆる出来事をすべて自分の味方にしちゃう山田さんは本当に山田さんが話していた通り、人形操演をするために生まれてきたのかもしれませんね。

運命がぜんぶ決まっていたかのように。

フリーの人形操演へ

継続して、「いないいないばあっ!」の人形操演の仕事をしながら、フリーで最初のレギュラーは「ざわざわ森のがんこちゃんチョビ役。

番組と番組のつながりで、その後もどんどんと山田さんの人形操演のお仕事依頼がたくさんくるようになりました。

フリーで仕事をしていく中で、劇団で学んだ事は、人形の動かし方ではなく、演技や芝居の基礎だったんだ、それこそが人形操演に必要な基礎的なスキルだったんだ、という気付きがありました。

人生で人形操演のスキルを得るために無駄だったことが何一つないですよね。こんなことってあるんでしょうか。

すてきすぎるしかっこよすぎます!!!

NHKプロフェッショナルで話されていたこと

過去に山田さんはNHKのプロフェッショナルに出演されたことがあります。

日頃から人の動きや表情をよく見たり動物の動きを細かい部分まで観察して徹底した準備をする。それを自信にして本番を楽しめる人がプロフェッショナルだと思います

細胞レベルで人形が好きで、大好きな人形操演の世界で楽をしたくないなという思いで(取り組んでいる。楽をすると)見てる人にはもちろんのこと、人形にも失礼。

表面だけを らしく(それっぽく) やることはしたくない

もっと内面から入るというか、もっと気持ちを(込めてやりたい)

出典

と、同番組内で話されていました。

山田はるかさんのここが特にすごい!

アドリブやフリートークなど、予想が難しい動きにも柔軟に操演されるところが高く評価を受けています。

一般的な人形操演は、あらかじめ話す内容などが決められていて、そこに動きを付ける、という流れになっていますが、山田さんは、アドリブがある生放送のフリートークで操演をよく、担当されています。20分のフリートーク(ラジオ)を人形操演し、その映像をYOUTUBE生配信したこともあるほど。

アドリブの時の動きは、聞きながらだと動きが遅れてしまうので、こんなふうにこの人なら話すであろう、を息遣いで判断し、言葉と動きがシンクロするよう、先読みして動かしているそう。

それを実現するために、前もってその人の話し方の特徴をつかんでから挑んでいるんですって。

山田さんは「人形操演をするために生まれてきた」と話しています。

出典

まとめ

山田はるかさんは本当に努力の人で、人形操演に誇りを持っていて、最高のパフォーマンスをするために、常に準備をしっかりとしている方。

本当にたくさんの経験や努力を経て人形操演にたどり着いた方。

この方のことをまとめたいと思えて、まとめれてよかったと思いました。

努力して、欲しいものを手に入れて、それでもまだ追いかけ続けて努力し続ける人は本当に本当に、かっこいいと思います!!

山田はるかさん、この度はぐらぼうの制作と操演を担当してくださりありがとうございました!!!

これからも応援しております~~~!!!!!

ここまで読んでくださりありがとうございました!!!

ちなみに、ぐらぼうの声の人まとめについてはこちら!

共演されていた春日井のおじさんのまとめはこちら!

コメント

タイトルとURLをコピーしました