虹クロに出演されたサリー楓さん。
ファッションモデル、トイレなどの建築デザイナーとして、またトランスジェンダーの当事者としてLGBTについての情報発信を行ったりとマルチに活躍されている彼女についての経歴(wiki)をまとめました!
お父さんを含め家族構成なども調べたのでこちらも含めて、
よかったら最後まで読んでみてください!
サリー楓さんの経歴まとめ!
1993年生まれ(2025年現在32歳)、京都府生まれ、福岡県北九州市出身。本名は畑島楓さん。
幼稚園~小学生の頃
幼稚園の頃は女子と遊んでいたそう。小学校入学時はお道具箱の意図がピンクと青に分かれているのを見て、「なんで私はこっち側なのだろう」、と感じた。

小学生になったころにはすでに
性に対する違和感を感じていたんですね。
幼少期からマンションの広告を見るのがすごく好きだったサリーさんは、図面を集めたり、建物の絵をよくかいていたそう。そんな時父親に「建物の絵をかいたらお金がもらえる仕事があるよ」と教えてもらったのがちょうど小学2年生のとき。「建物の絵を描くだけでお金がもらえるんだ!」とおもったサリーさんは、それをきっかけに建築家になることを志したそう。
小学生の時の文集に「建築で大学院まで行って、3年間建築事務所で働いて、建築士の資格を取って、建築家になりたい」と書いていました。

お子さんがマンションの広告を見たり、
建物の絵を描いているところから設計士さんという
お仕事の存在を紹介するお父さん、すごいなと思いました!
また、小学校在学中には男女のグループに分かれてしまい、
サリーさんは男子のグループに入る事にも違和感を感じた結果、輪に入ることができなかったようです。
そのため、休み時間は絵をかいて過ごしていました。
しかし、担任の先生からは「他の男子たちとドッジボールをしなさい」と言われ、サリーさんは「絵をかきたいからかいているんです」と答えたそう。
中学生のころ
中学生の頃は自身がトランスジェンダーである自覚をしたが、トランスジェンダーという言葉を知らなかった当時「私ってニューハーフなのかな?」と思っていたそうです。
が、ニューハーフという言葉にも違和感を感じていました。
高校生の頃
どちらの高校出身なのかは情報がありませんでしたが、
高校生の時はラグビー部に所属していて副部長をしていたこともあったそうです。
また、高校生の時に性別移行について調べていたところ「トランスジェンダー」という言葉の存在を知り、はじめて「自分はこれだったんだ」と知りました。
大学生~社会人~大学院生~社会人以降
夢を目指して努力し、近畿大学工学部建築学科に入学。
1年生の時から建築デザインのコンペで入賞。
その高い能力が注目され、海外の設計事務所に就職が決まった。
その事務所で活躍中に、歯医者さんの建物建て替えの依頼が。
建て替えの目的(依頼)としては、老朽化のための建て替えと、集客数向上。
その時の状況としては、患者層は高齢者が多く、若い人を取り込めていなかった。そこで、若い人も集客できるよう、歯医者さんの建物の設計と共にブランディングを行った。すると、設計料と同じくらいのお給料を受け取れたことをきっかけに、ブランディングをしっかり学ぶことで更にお客さんにバリュー提供したい、と考えたそう。そこで、慶應義塾大学大学院で経営戦略と建築の設計を学んだ。在学中の2017年、研究室の方ですでにセクシュアルマイノリティであることを打ち明けている方がいたこともあり、サリーさんご自身も打ち明けた。
当時の大学教員でありサリーさんの恩師の小林博人先生(慶應義塾大学大学院 政策・メディア研究科教授)からは、「君は建築も生き方も全部ボーダレスだからそれを強みにしたらいいと思うよ」、と背中を押してもらったこと。それを機に、メイクをはじめて、スカートをはくようになった。また、当時サリーさんは戸籍を変更前だったが、慶應義塾大学が学生証を作り直してくれたそう。カミングアウトをできたのは、その時に所属していた慶応義塾大学SFCだったからこそ(多様性を認められる校風)だ、だから就職先もすんなり決めることができた、とサリーさんは言っていました。
だが実際、まだ日本や世界では、LGBTの方が学校や会社など、生活の中で社会からの偏見の目にさらされることが多いのが現状。また、親御さんも心配する方が多い。
しかし、サリーさんはそんなことないよ、と。LGBTの方やその周囲の方の後押しをするために、発信をしていく、とのことです。
引用:YOUTUBE

今までのサリーさんの、自分の殻に閉じこもっていたのが
全部開放できるきっかけが、
進学先の大学院にあったんですね!
サリーさんにとっての大学院が
人生でのターニングポイントですね!
現在は日建設計で建築デザイナーのお仕事をされています。
が、こちらへ就職する直前に、トランスジェンダーが美を競うビューティコンテストに挑戦しています。その日本予選出場時の準備のために、サリーさんがスティーブン・ヘインズさんというアメリカのマルチタレントさんから、ボージングとウォーキングのレッスンを受けていた。
その時に、コンテストに向かって準備をしていく過程での変化をドキュメンタリーとして撮ってみないか、と依頼を受け、それが映画化されたものが、「息子のままで、女子になる」。これは2021年に公開された。
また、建築の仕事で目の当たりにした社会課題を発信するべく、尾木プロダクションを拠点としながらモデルや文化人、ニュースコメンテーターとしても幅広く活躍している。また、LGBTに関する情報発信や、講演も行なっている。
サリー楓さんの家族構成について
調べてみたのですが、ご兄弟については情報がありませんでした。
ご両親は前述の映画「息子のままで、女子になる」に出演されています。
ちなみに、サリーさんのカミングアウトについてお父さんの意見を以下にかいておきます。
映画「息子のままで、女子になる」のシーンで、サリーさんがご両親に、ご自身の性別の事について胸の内を話す箇所があるのですが、
それに対してお父さんは、「息子だと思っています」「私はまだ理解できない」と話していました。
このことに関してサリーさんは撮影・カメラを通したことで、お父さんがいい人ぶって「娘と認めます」というと思っていたが真逆の返事が返ってきたそうです。
「LGBTフレンドリーな返事をしたほうが父としてもエネルギーを使わないだろうに、それでもあえて率直な思いを言ってくれたのはそれなりの覚悟があったと思う。
また、はっきり言ってくれたことが、何か父親としての責任を果たしているような気がして尊敬したし、うれしかった」そうです。
もちろん受け入れてもらえるのが一番ハッピーエンドではあるが、お父さん自身の本当の気持ちを知れたことが、サリーさんにとってはかけがえのない財産になったと言っていました。
まとめ
・サリー楓さんは1993年生まれの32歳。(2025年現在)
・本名は畑島楓さん。
・京都府生まれ、福岡県北九州市出身。
・マンション広告を見るのがすきで図面を集めたり建物の絵をかいていた幼少期を過ごしていたところ、実父に「建物の絵をかいたらお金がもらえる仕事があるよ」とアドバイスをもらったことをきっかけに8歳のころに建築家を目指すことにした。
・小学生くらいからお道具箱の色分けを見て、私がどうしてあちらではないのか、と違和感を感じた
・中学生になると自身がトランスジェンダーである自覚があった
・高校生のときはラグビー部所属、副部長の経験。
・大学は近畿大学工学部建築学科
・一度社会人を海外の設計事務所にて経験した後、慶應義塾大学大学院で経営戦略と建築の設計を学ぶ。
・就職前にトランスジェンダーが美を競うビューティコンテストに挑戦し、その時のドキュメンタリー映画化されたものがある
・現在は日建設計で建築デザイナーのお仕事をされていながら、マルチに活躍されている
初めて見た時はなんて美しい方なんだろう~と思って
お話されている動画を見ているうちに
話し方がとても分かりやすく、かわいらしくて素直な美しい人だと思いました!
あと、とにかく努力の人!っていうイメージです。
これからもLGBTの方が少しでも生きやすくなるよう、
ご自身がいろんなもののロールモデルとして
また実用的なところではトイレのデザインなどを通じて
たくさんの人を救っていくスーパーヒロインになっていくんだろうなと思います!
これからも活躍を楽しみにしています!
応援しています!!!
ここまで読んでくださりありがとうございました!
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